小説レビュー その他もろもろとか。

ちょいちょい辻村さんの本を再読してる。
この本は二年ぶりくらいかな。物語の肝である<ゲーム><能力>が面白い設定で、その使い道を自分なりに考えてみたりした記憶がありますね。

改めて読み返してみると、もうちょっと精神的な部分が見えてくる。
今まであんまり・・・っていうかほとんど再読するって習慣がなかったんだけど、意外といーもんですね(笑)読んだころの年齢も関係するけど、読んだ後の自分の人生観の変化によって再び読んだときに見えなかったものが見えてきたり、主人公の思わぬ意識の変化に気付いたり共感したり。

この物語は、ほとんど大学教授の秋山先生(秋先生)と主人公ぼくの会話だ。小学四年生のぼくと、そのぼくが密かに憧れるふみちゃん。大切に世話をしていたウサギ小屋の襲撃(医大生の犯行)によって、ふみちゃんはショックのあまり言葉を喋れなくなってしまう。ぼくはこの医大生に怒り<あのチカラ>を使おうと自ら封印を解こうとするが、その呪いの言葉が上手く思いつかない。そんな息子を心配し、母親は同じ能力を持つ親戚の大学教授へ相談する。医大生との直接対決までの7日間、児童心理学の教授である秋先生のカウンセリングによって、ぼくはどう変化していくのか?・・・この7日間のカウンセリングが実に深いのである。

ちなみに<あのチカラ>とは『条件ゲーム提示能力』という、人を操れる不思議な言葉で・・・説明すると、

Aという条件をクリアできなければ、Bという結果が起こる

という形が基本。ぼくが最初、無意識に使ってしまった言葉・・・ふみちゃんがピアノの発表会でしり込みして会場から逃げ出してしまったときにかけた言葉・・・

『戻ってピアノを弾こう。そうじゃないと、いつまでも今日のことを思い出して嫌な思いをするよ』

つまり、ピアノを弾かせるために、弾かないと嫌な思いをするという罰を提示してるのだ。
ピアノを弾きに戻れば罰は発動しない。逆に戻らなければ一生嫌な思いを引きずらなくてはならないのだ。
何ていうか<呪い>でもあるわけですね。
この呪いをかけられたふみちゃんは、ピアノを戻って弾くことと、嫌な思いを引きずることを天秤にかけて慌ててピアノを弾きに戻ることになるんだけど、それ自体も無意識のうちに行動してしまうという云わば<神の声>に近いと思われる。

この言葉のチカラを借りて、ぼくはウサギを惨殺した医大生と対峙するのだ。

この秋先生がまたいい人なんだなー。小学四年生のぼくをちゃんと対等に扱ってくれている。子ども扱いしない。それでいて鋭い観察眼!自らも持つこの不思議な能力によって悲しい過去をもっているのだけれど(それはまた別の小説で明らかにされている)その経験を踏まえてぼくとちゃんと向き合っている。

毎日のカウンセリングを経て、ぼくの心の闇(つまりは人間が持つ悪意の部分)を引き出していき、それに対して私ならこうする・・・というような、あくまでも正解はないということを説明しながらの会話はワタシ自身が何かのカウンセリングを受けているようだ。
著者の辻村さん自身も教育学部で児童心理学を学んだろうし、教育実習などで子どもとふれあったんだろう・・・そんな想いが伝わってくる。

ちなみに犯人の医大生は、学力優秀で医大に入学したもののネットに溺れ、ついにはこのウサギ小屋襲撃をネットで告知。ウサギの手足を鋏でちょん切る画像を次々UP『じゃっきんポロリ、おぉー手が滑る』など苛立たしい解説文も加えながら耳を切り、最後には首を切り落とし、狂乱する。その後ウサギ小屋に当番で現れたふみちゃんを撮影し『クラスの底辺並だな・・・萌えねー』などと解説、『この子が第一発見者!泣き声が聞こえるーすげースピードで校舎に走ってく!先生ーウサギがあぁぁぁぁ』と実況中継さながらネット上へ。
この劇場型犯行は逮捕されることも厭わない杜撰な計画で、彼としては単なる悪戯という意識でしかない・・・という凄まじい描写で表現されている。目を覆いたくなる読者もいるんじゃないかな。

主人公のぼくはこの医大生が許せない。しかもこれだけのことを犯して罪としては<器物損壊>なのだ。執行猶予がつき実刑にならない。再びPCの前でスナック菓子をむさぼる毎日なのである。

カウンセリングの7日間が終わり、謝罪したいという医大生と直接会う機会を得たぼく。秋先生・ぼく・医大生の三人が学校の一室で対峙したとき、ぼくが放つ呪いの言葉はどうなるのか!

ちなみに秋先生が考えた言葉はこれだ・・・

『今から十年後、あなたが死んでいなければ、あなたはその時一番大事に思える存在を必ず自分自身の手で壊す』

怖い。

彼に課す条件は十年後に自分が死んでいること。それができない場合は将来自分にできる大切なものを、自分の手で壊すことなのだ。
ダブルバインド・・・二重に縛る・・・どちらを選択しても結局は同じ結果になるという方法。
秋先生はこう説いている。

『割り切ることができないのなら、最初からこんな言葉を使うべきではない。彼の大切なものが彼の恋人であり、その人には全く関係のないことであっても』

『胸を痛める権利などないんです。相手の人生に不参加であることを、最後まで貫く覚悟が必要なんです』

残酷に潔い。

『僕は傲慢で利己的だ。単純に彼のことが許せないだけですよ』

『僕は厳しすぎる。あなたは甘すぎる。どちらも正しい結論ではないのです。だからこのチカラはずっと使ってないのです』

あなたの戦いには口を出さないという秋先生のスタンス。
因果応報・・・必ず自分に帰ってくる報い・・・正解はないという正論と矛盾。
もはや神の領域であろう・・・人を操るというのは善悪入り乱れる極致であり、人間の叡智を軽く凌駕している。

うーん重い。よく考えると主人公は小学四年生で、こんな酷なこと考えられると思えないんだけど、そんなの吹っ飛んじゃうほど考えさせれますね。
最後に放つぼくの言葉でまたどんでん返しが来たりして、本当よくできた物語。秋先生は他の小説にも重要な役柄で出演、ふみちゃんもまた別の小説に出演している。またピアノの上手い少年も別の小説に出演していて、最近の作家さんはこーゆう遊びが大好きですね。ワタシも好きですけど(笑)あと各章の名前の並びとかの凝りようも、女性ならではなのかな。


本のキャッチは難しーなー

先生ごめんなさい。ぼくはもう決めているんだ。

ぼくの決意に涙が出ましたよ。本当。

ぼくのメジャースプーン

ぼくのメジャースプーン

ちなみに二年前に読んだときはこんな感想だった。
2009/5 ぼくのメジャースプーン
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2011.08.19 / Top↑
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