小説レビュー その他もろもろとか。

この本を読む高校生は聡明に違いない。色白の女子高生が思い浮かぶ。

腕は白く細く、そして操り人形のように伸びた脚、少しだけホクロと、薄い桃色の唇と、奥二重で切れ長の美人・・学校でみせる活発で明るい姿の反面、自宅では窓辺で一人物静かに佇み、孤独を本へと准えている・・ような妄想に囚われてしまう。
誰もが人には云えぬ孤独を持っているのだ。
生きている以上不幸な出来事や悩みは必ず付き纏い、それは些細なことで急に思い出したりする。ちゃんと誤魔化しているはずなのに。

先日『パイロットフィッシュ』という著者の作品を読んだばかりだ。
そのなかで、過去の想い出と対峙する主人公に対して<記憶は消えることなく伴に生き続ける>と綴られていた。表面上忘れていても、心の深淵で折り重なって静かに存在しているということだろう。
この『孤独か、それに等しいもの』では、その過去の記憶に決着をつけようとする主人公たちが、悲喜交々の感情がどろりと溶けて鉛色と化した想い出の海に溺れながらも、岸辺に向かって苦しそうに泳ぎ喘ぐ姿を美しい情景に映しだして描写されている。





結婚すると決めた私は、左耳に小さな穴を穿った。



それは高校三年生のとき、ピアス穴について相談をした大久保君から聞いた言葉だった。
<大切なものを失くしてしまうよ>と。
耳たぶには大切な神経がたくさんあって、それを失ってしまう。
それは、何かの言語かもしれないし、音階とか、もしかしたら小さい頃の記憶かもしれない。
ただ、失うってことは、それは本当に喪失してしまうことだから、きっと失ったあとでは何を失ったかすらわからないってことで、それが失うってことだから。

大久保君は、二十四時間のうちに大切なものは失われると云う。



その夜、大久保君はダンプカーに轢かれて帰らぬ人となった。中学二年から続いた晩熟の恋愛は無残に終わりを告げたのだ。



どうしてだろう、涙が溢れて止まらない。
私、結婚する。そう決心したのです・・・

だから、大久保君、今は私の側にいてください。

もしかしたら、君のことを忘れてしまったことすらも、忘れてしまうかもしれないから。

この耳たぶの、小さな穴から君が抜けていってしまう、完全に失ってしまう、せめてそれまでのあいだ。



早津の声を聞きながら、逡巡する想いに決別する。

「じゃあ今晩また電話します。早津さん」

「本当に、ありがとう・・・」



ねぇ、聞いてる・・・大久保君・・・
大切なものは、君との記憶しか、それ以外には、何ひとつないんだよ。





やー美しいなー。
『孤独か、それに等しいもの』は著者初の短編集で、全五編が収録されている。
そのうち上記作品は『八月の傾斜』から。

ピアスの穴を開ける行為に万感の想いが込められている。
恋人との悲恋の果てに心を失い、そして孤独に堕ちていく主人公。その喪失した時間を経て、過去の想い出を振り返ることができるようになる日々を、過剰なまでのセンチメンタルを装って語られている。

まー表題作も含めすべてに死を直結させて、悲しみが演出されている。
ずるいなー。死んじゃうのは悲しいに決まってるじゃないか!
しかも、そのどれもが結構凄惨な死にかたを遂げている。うーん著者の心の闇は結構深いんじゃないかな?と疑いたくなるような絶望と喪失が描かれているのだ。

あーいけないいけない。このままでは闇に呑まれてしまう。
この余韻に浸っていたら、何かいけない感じがする。哀しみの美しさに心震えているようでは、欝からの脱却は難しい。
外の日差しはこんなにも眩しいのに。

で、本のキャッチなら、

鏡の中の自分に、さようなら。

あぁ、抜け出したい!

孤独か、それに等しいもの

孤独か、それに等しいもの
2011.06.29 / Top↑
とうとう読み始めちゃったよ。
今更感いっぱいだけど、読むべきだなって思った。著者をもっと知るためには避けて通れないし、何より面白そうなのだ。ただ当時の舞台である池袋から十数年経った今、もうその当時とは比べられないほど若者の荒廃は進み、ギスギスして歪んだ若者文化が池袋を占拠してしまった。若者はみんな電波に潜り、本当の自分を曝けださずに憎悪を募らせながら、無気力な空間を漂っているのだ。顔の無い結束力は、ときに暴徒化し、破綻する。マコトが生きた時代は、憎むべき相手にまだ顔があった。考えればもう懐かしい時代なのかもしれない。




土曜日の夜が来るたびに、おれたちは熱い湯に浸かるように一晩中西口公園で時間を潰した。
ベンチに女たちは座り、男たちはぐるぐると円を描きながら順番に声をかけていく。飲み屋も、カラオケも、ラブホテルもすぐ隣だ。
噴水の前にはCDラジカセが何台も並び、腹に響く重低音を唸らせながらダンサーたちは振り付けの練習をしている。
噴水の反対側では、ギターを抱いて座り、叫びように歌うやつらが蔓延っている。
最後のバスが出ていったターミナルには、埼玉からきた族の車が列をなしてスモークガラス越しに女たちを口説いている。
公園並びの東京芸術劇場はすでにシャッターをおろしているが、その前の広場では、ボーダーとBMXのチームがスケボーとマウンテンバイクのアクロバットを競い合っている。
<ウエストゲートパーク>おれたちはカッコつけるときいつもそう呼んでいた・・・そこはそれぞれのチームに見えない縄張りがあり、その境界線を武闘派のGボーイズが血の匂いを探す鮫のようにうろついている。
角の公衆便所はマーケット。売人が五分おきに便所に入り、ルーズソックスのコギャルもあとを追って消えていく。

ナンパをしたり、ケンカをしたり・・・

ただ、たいていの夜は何も起こらず、何かが起きるのを待っているうちに、東の空が透きとおり夏の夜が明けて始発電車が動き始める。
それでもおれたちは<ウエストゲートパーク>にいった。

他になにもすることがなかったから・・・




どこか虚飾に満ちた刹那的情景のなかに<何かが起きるのをまっている>という、モラトリアムに溺れながらも足掻く姿が実に印象的だ。
まっとうな社会生活と乖離して、退廃した時間に身を委ねながら池袋という街を傍観するマコト。マコトはこの街を愛している。繋がる仲間にも平等の優しさを与える。女子からみれば「カッコいい」し、男子から見れば「いいやつ」なのである。
いいやつだけに、この街で起こる厄介な事件に首を突っ込むはめになる。そこが物語の肝であり、面白さでもある。
本書は、1997年に第36回オール讀物推理新人賞を受賞した「池袋ウエストゲートパーク」を含めた連作四編から構成されている。どれもが主人公マコトを探偵役に見立てた推理を中心に話が進んでいく。ただ、推理だけでなくそこには時代を映し、青春、人間、恋愛、など様々な人間感情を描き出し、さらにはハードボイルドな面白さも含まれている。マコトに絡んでくる登場人物たちの人間もよく描かれていて、読むものを圧倒すらする。

あぁ・・・だから嫌だったんだ(笑)
続きを読まなくてはいられないじゃないか。

池袋の街文化にはおおよそ縁の無い人生を歩んでいるワタシにとって架空でしかない内容だけど、それだけに重くなりすぎないタッチで描かれる事件は軽快に読み進み、豪快に爆ぜるシーンでも目を逸らすことはなかった。

惜しまれるのはTVドラマを少し観ているので、読みながら想像するマコトの顔が、どーしても長瀬智也くんを思い浮かべてしまうのだ。いいっちゃぁいいんだけど(笑)

この街に、潜る。

短いキャッチだけど、海と同じように潜ってみれば別世界が広がるのだ。
マコトの周囲が気になるなー。

池袋ウエストゲートパーク

池袋ウエストゲートパーク
2011.06.27 / Top↑
作家の道尾秀介さんがtwitterで紹介していた映像です。
コマ送りが遅めでパラパラ漫画のようであり、水墨画のようなトーンが古い洋画を思わせます。またこの映像と音楽・・楽曲も楽器の音色もすごく物語とシンクロしていて、とても切なくなります。
とりあえず、観てみてください。



無声映画ですね。まさに。
ワタシはこの映像の中に何を期待して、何を諦めていたんだろう。
余白の多い映像なので、それだけ深く想ってしまう。

邦題・・・ワタシならば『追憶』としたいですね。
まー映画とかぶっちゃいますが(笑)
2011.06.26 / Top↑